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くらげ男の日々

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04/19/19:01  “遠い崖5”萩原 延壽 朝日文庫

b213ef24.jpg遠い崖5”萩原 延壽 朝日文庫 今日読み終わる。



この巻では、パークスと慶喜との会見のあと、サトウが東海道を歩いて江戸へと帰るところから、イカルス号の水夫殺害事件の調査を終えて横浜へと帰るまでの、約半年間(1867年5月18日~10月16日)のことがあつかわれている。
 
東海道と七尾から大阪までは徒歩で、さらに、船を使って土佐、長崎へと、この巻のなかで、サトウは日本中を訪ね歩く。
 
そうした中で、市井の人々の暮らしを自分の目で確かめていくとともに、西郷、後藤、木戸、伊藤、大久保、坂本、井上など、維新の中心となる人物と次々と会って日本の情勢をさぐっていくのであるが、そこで描かれている維新の志士たちの志の高さが、この巻では際立っている。

前回、決して自らは話しかけようとはしないことで、あせったサトウから本音を聞きだすことに成功した西郷。
今回の8月の会見では、サトウをわざと怒らせることでイギリスの外交方針の本音を引き出す。
 
この席でサトウは、有事が勃発した際の薩長への軍事援助をほのめかすが、西郷はこれをきっぱりと断る。
 
「自分の国のことは自分たちの手でおこなう。今、外国の手を借りたら、負け犬根性が染み付いて、将来の災いとなる」から。
 
また、薩長土がひそかに武力倒幕の準備を始めていたとき、そのただならぬ気配を感じたサトウは桂、伊藤、後藤らに近日中の軍事行動の可能性を聞きだそうとするが、彼らは一様にとぼけて、真相をサトウに打ち明けようとはしない。
 
それはみな、維新の志士たちの、外国の手を借りず、あくまで自分らの手で革命を、という志の高さから来るもので、この部分を読むと、“はたして今の私たち日本人に、西郷の「自分の国のことは・・」という気概はまだあるのだろうか?”と思わず考えないではいられない。
 
この巻の最後では、自分の言動が日本の将来を左右する、という自負があったサトウも、いつの間にか討幕運動のカヤの外においやられている。

時代の流れはそれほど急となっていたのであり、いっきに維新へと突き進んでいこうとするところでこの巻は終る。
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04/08/14:06  “名人に香車を引いた男” 升田幸三 朝日文庫

8c7afe2a.jpg名人に香車を引いた男” 升田幸三 朝日文庫 今日読み終わる。
(写真は中公文庫版)

数々の不運を乗り越えながら、「新手一生」を掲げ、スピード重視の現代将棋のさきがけとなり、将棋界に不滅の足跡を残した実力制第四代名人・升田幸三の自伝。

生い立ちから昭和32年、名人、王将、九段の全タイトルを獲得し三冠王となるまでの自らの将棋人生を、昭和54年の現役引退を機に語り下ろしたもの。
 
この本を読むのは初めてだったが、中学生のとき、「升田の将棋入門」を読んだのをきっかけに升田ファンとなり、定跡書の「升田の~」シリーズから、「勝負」などのビジネスコーナーにおいてあった本まで夢中になって読んでいたことがあったので、ここに書かれていることのほとんどは知っていた。
 
それにもかかわらず、どんどんと話に引き込まれて夢中になって読んでいったのは、“升田節”といわれる、抜群の語りのうまさがあったから。
 
“今、こんなに話をするのがうまい人はおそらくいないのではないだろうか?”
そう思ってしまうほど升田の語りは面白い。
中学生のころ夢中になるわけだ。
 
面白いだけでなく、昭和前半の将棋史としても十分読めて、個人の歴史がそのまま将棋史として成り立ってしまうところに升田の偉大なところだと思う。
 
この本の中で数々のエピソードが語られているが、もっとも印象に残ったのは内弟子時代の次のエピソード。
 
棋士になるのを夢見て大阪の木見八段の内弟子になったのはよかったが、来る日も来る日も師匠の家の雑用に追われ、ちっとも将棋を勉強する時間などないために、入門から一年半たっても初段にもなれなかった升田はすっかりくさっていた。
 
そんなとき、お使いで豆腐を買って帰る途中、転んで豆腐をだめにしてしまった升田は、師匠の奥さんにしかられる。
 
「使いっ走りも満足にできんどって、何が将棋や」
 
わたしを含めて、今の人ならここで“キレる“のではないだろうか?

升田はちがった。
“そうだ俺が間違っていた。豆腐を買いに行きながら、道すがら俺は別のことを考えていた。なぜ俺ばかりこき使うんだとか、なぜあんな将棋を負けたんだとか、頭の中は雑念でいっぱいだった。そのため用心を忘れ、足元がおろそかになってこけた。これじゃいかん。豆腐を買いに出たら、そのことだけを考えなくちゃいかん。
「何をするのにも集中心をもて」”
このように受け止め、以降、将棋もめきめき強くなっていったという。
 
何事かを成し遂げる人は、些細なことでも自分自身の向上の機会として無意識にそれを利用するということ、そして、“キレやすい“というのは、自分の中に何も目標がないからではないだろうか?
この部分を読むとそう思わずにはいられない。
 
輝かしい棋歴の一方で、升田ほど、悔しい思いをした棋士もいないのではないだろうか
 
昭和18年、召集によって南島に行く直前の木村名人との大一番、弟弟子の大山七段との高野山の決戦、いずれも必勝の局面から最後の最後でポカが出て落としてしまう。
戦争で体がぼろぼろとなりながら対局をし、ついには糖尿病の悪化から対局中の正座ができなくなったため、いす席での対局を希望したが受け入れてもらえずに(ひどい仕打ちだと思う)、現役引退を決意したときなど、今の現役棋士では考えられないほどの悔しい思いをしてきたはずだ。
 
だが、この本の最後で、升田はこう言っている。

「将棋指しになって本当によかった」
「少年時代の夢を現実にした人が、日本中にいったい何人おるだろうか。・・・これで不運だなどといったら、バチが当たるに決まっておる。」

この本全体を通じて感じられる明るさといったものは、語っている升田個人の人柄によるものと同時に、自身の不運を恨むことなく、与えられた環境の中で精一杯努力した人だけが持つすがすがしさによるところが大きいように思う。
 
あと、この本の内容とは関係ないのだが、個人的に升田は後天的なサバン症候群であったのかもしれないと思っている。

数え年6歳のとき、祖父からひどい折檻を受けて、半年あまり痴呆のようになっていたことがあったという。

後年、升田は電線に止まっているスズメの数を瞬時に正確に言い当てることができたとか、数字に関しての記憶が飛びぬけていて、本人もこのことを自慢していたことがあったという話をほかの本や雑誌などで読んだ記憶があるが、これは、6歳のときの折檻で左脳に損傷を受けたのだが、まだ若かったので右脳が左脳の機能の補償をするようになり、サバン症候群的な才能が開花したためだとは考えられないだろうか?
 
何十年もの先の日付を言うと瞬時に何曜日かを答えることができたり(頭の中でものすごいスピードでカレンダーがめくれていくという)、
一瞬しか見ていないのに、あとで、細部まで忠実に絵で再現することができる能力を持つというサバン症候群。

升田の、ひとにはまねのできない独創的な将棋の秘密もそこにあるのではないかとひそかに思っている。
もちろん、特殊な才能だけでどうこうなるというほど、プロの将棋の世界は甘くはないのだが・・。

03/27/22:31  “おはなさんの恋” M.デュバール著 有隣新書

おはなさんの恋” M.デュバール著 有隣新書 今日読み終わる。

この本は、明治7年から1年間、日本に駐在したフランス海軍士官が、フランスに帰国後、明治12年にパリで出版した日本見聞録、“絵のように美しい日本”を抄訳したもの。
 
フランス人である著者の目に映った当時の日本人や日本の風俗、習慣、そして横浜、日光、京都などの様子などと並行して、著者の同僚の士官、マルセルと、弁天通りにあった骨董屋の娘、おはなさんとの恋の物語が描かれている。
 
女性は恋愛をすると、その時代の社会がもっている束縛といったものから、こんなにも軽々と自由になれるものなのだろうか?
 
最初の出会いの場面では、控えめでおとなしい、いかにも当時の女性らしいと思わせる、16歳のおはなさんだが、マルセル(22歳)に好意を持つことをきっかけとして、今の目から見ても驚くほど自分の気持ちに素直に、そして大胆に行動するようになっていく。
 
いっしょに芝居見物に行ったとき、おはなさんはマルセルに向かって、はっきりと言う。
「わたし、しあわせです」
「こんなしあわせなのは生まれてはじめてです」
 
著者らが日本を離れるとき、マルセルはおはなさんに別れをどうしても言い出せないまま出航してしまう。
 
おはなさんはどうしたか?
親がとめるのもきかず、単身、三菱の定期船(今の日本郵船)で著者らが帰国途中に駐在していた、上海にやってきてしまうのだ。
 
マルセルにひと目だけでもあって、直接お別れをいう、そのためだけに。
会えるかどうかさえ、わからないというのに。
 
著者は相当な日本びいきで、日本の美しさをなんとかフランス人に伝えようとするあまり、ちょっと大げさに思えるほど日本を持ち上げている部分もある。
そういう点はあるにしても、私には著者が、日本がもっているほんとうの良さ、といったものを的確にとらえていたように思える。
 
日光の東照宮や京都の古い寺院などではなく、街道沿いにみられる何気ない日常風景、
野良仕事に精を出しているお百姓、赤ん坊をおんぶした若い母親、澄んだ滝の水に浸かって半裸で鱒や金魚と戯れている少女たち・・・、これらの風景を見て著者はこう書かずにはいられない。
 
「ああ、これが日本だ。こういう純朴な、飾らないなまめかしさが、ほんとうの日本だ・・」
 
この、著者が賞賛した日本の良さは今でもけっして失われてはいない、と私は思う。
とても見えにくくはなっているけれども。
 
もし著者が生き返って今の日本を訪れたとしたら・・・
そんな想像をしてみる。

ふたたび“絵のように美しい日本”
そういってくれるだろうか? 
すくなくとも、おはなさんのようなステキな女性とは出会うことができる、そう思いたい。
 

03/18/16:48  “モダニズムのニッポン” 橋爪紳也 角川選書

モダニズムのニッポン” 橋爪紳也 角川選書 今日読み終わる。

aea57646.jpg横浜の街を歩いていると、日本郵船ビルやホテルニューグランドの本館などの、優雅で重厚感のある建物の存在がこの街をいっそう魅力的にしていることに気づく。
 
このほかにも、山下公園(1930)、根岸競馬場の観覧席(1930)、それに今はなくなってしまった、同潤会山下町アパート(1927)など、魅力的な建物が次々と建てられた1920年代から1930年代のあたりは、一般家庭への電気の普及が広まり、それによって家事の負担が減ったことで女性の社会進出がすすみ、また、電灯やネオンなどによって夜でも眠ることを知らない都会が出現するなど、
「世界中の主要な都会で、ほぼ時を同じくして、近代的、かつ都市的な生活文化が花開いた時期」
で、“モダニズム“の時代といわれている。
 
この本は、この“モダニズム“の時代のチラシやパンフレットなどの“紙もの”の資料を見ていくことで“モダニズム”の時代の“空気”といったものや、この時代に生きていた人たちの“気分”に触れてみようとしたもので、「まずは読み物として楽しんで・・」とあるように、著者による解説を助けに、いろいろな当時のチラシなどを眺めながら、気軽にこの時代の雰囲気や人々の様子に思いをはせることができる読み物になっている。
 
当時はやった“流線型”という言葉には、形を表す本来の意味のほかに、抵抗が少ないということから“スピード”のイメージももっていて、
「○○○錠、蛔虫は流線型に排出す」
などの薬の宣伝文句があったことや、
外国籍の船舶であれば、領海を離れると飲酒が自由になるということから、禁酒法が豪華客船の時代を築くきっかけとなったという説があることなど、この時代についてのおもしろい雑学が得ることもできてたのしい。
 
20世紀は科学の時代だといわれる。その科学が実際の生活の中で活用されはじめ、どんどんと生活が便利になっていった時代がこの“モダニズム“の時代ではないだろうか?
 
この本で紹介されているチラシなどを見ていくと、この時代の人たちは、科学の進歩によって人々の暮らしはどんどんと便利になっていき、あしたはきょう以上の幸せがまっている、というような、科学や未来に対しての素朴な信頼といったものを持っていたように感じてくる。
 
しかし、この後まもなく、モダニズムの時代に生きた人々は生活を便利にしてくれ、人々に自由な時間を増やしてくれた科学が一方で大量破壊兵器などを産むという、別の顔をもっていたことを思いだすことになる。
 
そしてこの科学が持つもうひとつの顔によって、日本のモダニズムのクライマックスとなるはずだった東京オリンピック(1935年)は幻となり、“モダニズム“の時代に発展した都会は廃墟と化してしまう。
 
戦争によって何もかも破壊されてしまった日本が、戦前のモダニズムの時代がもっていた文化などの豊かさに追いつくのは、昭和30年代になってからだったように思う。
 
昭和34年に東京タワーが完成し、横浜では昭和36年マリンタワーが完成、氷川丸が山下公園に係留される。
そして戦前のモダニズムの時代には果たせなかった、東京オリンピックの夢も昭和39年についに実現される。
 
モダニズムの時代の建物や風俗と同じように、昭和30年代の建物や風俗に強く人々が魅かれるのは、そこに戦前の“モダニズム“の時代の通じる―科学や未来に対する素朴な信頼―があるのを無意識のうちに嗅ぎ取っているからなのかもしれない。
 
こうしてみると、昭和30年代というのは、戦争によって中断された“モダニズム”の時代の復活の時代とはいえないだろうか?
この本を読みながら“モダニズム“の時代についてあれこれと想像していくうちに、ふとそう思った。